医療英語学校HLCAでは、英語を学びたい医療者のためのオンラインレッスンを提供しています。
今回は、フィリピンのジャパニーズヘルプデスクで働く看護師、吉田さん(仮名)へのインタビューです。
吉田さんは、日本での看護師・保健師経験を経てJICAで2年間活動されました。
その後HLCAで英語を勉強しながらフィリピンのジャパニーズヘルプデスクの求人へ応募。
現在セブ島で医療通訳や海外旅行保険関係のお仕事をされています。
これまでの活動や、フィリピンでの英語を使った仕事経験についてお聞きしました。
- 名前:吉田さん
- 年代:30代
- 職種:看護師/保健師
- 勤務先:フィリピンのジャパニーズヘルプデスク
- 後で
この記事のもくじ
看護師・保健師としての経験
ーーー今日はインタビューに応じていただきありがとうございます。簡単に自己紹介をお願いします。
現在、フィリピンのジャパニーズヘルプデスクで働いています、吉田です。
ーーーこれまでの簡単な経歴を教えてください。
大学を卒業したあとは、看護師として4年、急性期と精神科病棟で働いていました。
そのあとは保健師として、検診センターや企業の産業研修などを担当していました。
10年ちょっとしてからJICA(青年海外協力隊)に行くために会社の休職制度を使って渡航、戻ってきてからの勤務経験もあります。
JICAでソロモンへ渡航し、生活習慣病対策へ従事
ーーーJICAではどこに渡航されたのですか?
ソロモンという大洋州の国です。オーストラリアやフィジーが近いですね。
保健省の生活習慣病対策に携わっていました。
ーーー渡航前の英語力はどのくらいでしたか。
JICAの渡航前に提出したTOEICスコアは420点で、英会話はほとんどできない状態で海外に行きました。
英語学習といえば、会社で昼休みに週1回ほど英会話のレッスンがあり、そこで少し話したくらいです。
ーーー隊員として行かれてから苦労しましたか?
そうですね。仕事もプライベートも最初は大変でした。
保健省のスタッフとの会話や研修、そしてWHOのスタッフも英語を話していましたがほとんど理解できず、積極的に参加できませんでした。
調べるのに必死、理解するのに必死、という状態です。
言葉の壁が厚く、もっと勉強しておけばよかったと思いました。
ーーー生活環境はいかがでしたか。日本とは随分違うのではないかと思うのですが。
途上国でしたし、普通のライフライン、水や電気が止まるということもありました。
でも、そんな環境も楽しんでいましたね。どうしようもないことは受け入れるしかないので。2年とこうしていました。。4:40あたり
ーーー ーーー ーーー 。。。。
保健師として働く中でHLCAで医療英語を学んだ
ーーー帰国したあとはどのようなことをされていたのですか。
JICAの本部にいくか、保健師をするかなどで迷ってはいましたが、まずは休職していた会社に戻りました。
その中で外国人や駐在している人への対応はしたいと話していましたが担当にならなくて。
私がこの会社にいてもチャンスはないのかなと思っていたんです。
ーーーなるほど。そんな中で次にやりたいことは何でしたか。
健康管理には興味がありましたね。JICAで活動中に周りの隊員が体調を崩すのを見ていました。幸い私はそんなことはなかったんですけど。
それを見た時に、健康管理は医療者としてのかなり必要とされる役割だと思っていましたね。
ーーー英語に関して思っていたことはありますか。
帰国してからも英語の勉強は続けたいと思っていました。 独学でなくしっかり学びたいというのがあって、医療の世界で活躍することを考えると医療英語が必要と思って、調べていたらHLCAに巡り会いました。
HLCAでの医療英語の学び方とは?
ーーーHLCAで受講されていたのはいつくらいでしょうか。
2020年、コロナになったあたりの時期だったと思います。
実際に海外で活動してみて、もっと医療英語の力が必要だと思ったので学び始めました。
ーーーHLCAでの英会話レッスン受講頻度を教えてください。
まちまちだったのですが、だいたい週1回前後です。最初の方は多めに受講していました。 次の進路を考えていたときに受講生向けの進路相談があり、申し込んでみることにしたんです。
ーーー進路相談では、どのような話を聞きましたか。
フィリピンのジャパニーズヘルプデスクを紹介されました。
元々、海外に駐在しながら健康支援する仕事はないと思っていたんです。とはいえ、自分の英語力では厳しいと思っていました。
でも、実際に募集があることを教えてもらえましたし、セブという場所も地域的に自分にマッチしていると思い、いいタイミングで教えていただけたことに感謝しています。
ーーーそれを知った時、どんな気持ちでしたか。
自分では思いつかない選択肢を教えてもらえて嬉しかったです!
ジャパニーズヘルプデスクで働くまでの採用ステップとは
ーーー面接や採用試験など、どのように進みましたか?
履歴書を送ってすぐに面接に進みました。 この時点では、TOEICが810点に上がっていたんです。
健康管理の部署だと750点ほどは必要と知り、JICAから帰国した時点のTOEIC610点を上げるためにスクールに通って810点まで上げました。
「TOEICスコアも伸びたから転職できるかもしれない」と思っていたときにちょうど紹介していただいた感じです。
ーーー面談は1回のみですか?
そうですね。履歴書にTOEICスコアを書いていたら、担当者の方から「英語ができるなら、英語で面接をお願いします」と言われました。
日本人スタッフとローカルのフィリピン人スタッフ2名でzoom面接を15分くらい行った後、筆記試験のクイズがあったことを記憶しています。
ーーー筆記試験はどのようなものだったのですか。
医療は関係ない、試験、というよりクイズ、のようなものでした。
英語力や問題理解力などが試される問題だったと思います。
面接とテストを受け、それで内定が決まりました。
ーーー下見でセブへ行ったのは、働き始めるどのくらい前だったのでしょうか。
渡航の2ヶ月くらい前だったと思います。
ーーー日本の住まいはどうしたのですか?
全部引きはらって、荷物は実家に置いて渡航しました。
ーーーフィリピンセブ島の印象について教えてください。
フィリピンの環境は、もともといたソロモンに近いと思いました。
1年中暑いですし、国の雰囲気として、発展しているエリアとそうでないエリアがあるところとか。
なので、セブ島に渡航したときも、抵抗はなく、住めそうかなという印象を持ちましたね。
コロナ明けの久しぶりの海外がセブ島でした。
1人でいると、ちょっと困ることもありましたが、フィリピンの方はフレンドリーなので、何か話しかけてくれたり、困ったら助けてくれたりして温かい人が多かったです。
記憶に残っているのは、ホテルへの道がわからなかった時のこと。
「とりあえずこのバスに乗れ!」とホテルの人に言われるがままに乗りましたが、目的に辿り着けず…
そうしたら、横にいた人がバイクタクシーを呼んでくれて、お金もいらないと言われて。
ーーーフィリピン人は、困っている人を見ると放っておかないですよね。1人じゃない感がすごいです。お仕事に慣れるまではいかがでしたか。
現地のクリニックで海外旅行保険を取り扱う仕事でした。
保険が適応かどうかの判断をすることがよくあります。
国の特性上、いろいろな患者さんが来られますね。
来る患者さんの症状は似たようなものも多いですが、全ての科の患者さんが来られるので日々勉強です。
英語に限らず看護や医療の内容も、毎日調べることが多くて。
英語を聞いて日本語で伝えるために、医療の知識そのものも学んでいます。
ーーー働きながらHLCAのレッスンも受けていたのですか。
そうですね。レッスンの前半ではセブ島での生活などを話し、後半は仕事で出てきた医療英語を使いながら疑問を解消するようにしていました。
ーーーHLCAの医療英語のテキストで役立ったものはありますか。
こちらです。医療英検を一昨年、セブに来る前に受けました。
試験を受けるには単語を知っておく必要があるので、この本で調べた内容を使ったんです。
ーーーテキストを使っていただいて嬉しいです!
仕事で出てきた難しい単語を説明しているノートもあります。
ーーー仕事をする中で苦労した部分、難しかったところと、やりがいに感じる部分について教えてください。
苦労は、やはり医療英語の難しさですね。まだまだ学習することは多いと感じます。
最近職場が変わったので、医師の説明の仕方が変わりますし、特に今の先生はすごく丁寧なので知らない単語がたくさん出てくるんですよね。
なので、そこをもっと勉強しなきゃと思っています。
ーーーでも、ステップとしてはとてもいいですよね。
そうですね。勤務先が変わったからこそ勉強をすべき課題が見えていますし、ずっと現場に立っているからこそ成長ができると思います。
同じ場所にずっといると、同じ先生とのやりとりになりますからね。
ただ、毎日忙しくても先生がとても丁寧に教えてくれるんです。だから、そういう意味でも成長できる場所になっています。
診療中に知らない単語も出てくるので、そこで正確に患者さんに伝えるということがずっと課題になっています。
ーーーこの仕事のやりがいはなんでしょうか。
その患者さんや家族の慣れない受診をサポートできる、安心して帰っていただけるのを見られることが嬉しいです。
また来られることもありますけど、それでも安心できる場所と思っていただけているのかな、と思うので、自分がそういう役割を果たせていられることは実感できますね。
ーーークリニックには、どういう対象者のかたがどのような疾患で来院されるのですか。
セブ島には語学学校がたくさんあるので、20代30代の方が多いです。
語学学校以外だと、会社の従業員の方や、在住者など40代の方もおられますね。
風邪症状や消化器系症状、感染症などが多い印象です。
あとは、セブ島は観光地としてアクティビティーが多いので、海とかバイクで怪我をした方も来院されます。
外来から入院も含めて勤務時間中、日曜日以外で8時〜5時の営業時間で勤務しています。
ーーーなるほどですね。
入院中のラウンドで病室を訪問し、先生と一緒に説明をしたり、救急外来に来られる患者さん対応をすることもあります。
ーーー保険の申請は、看護師以外に新しいジャンルのことだと思うのですが、その学びも新しいですよね。
海外旅行保険の適応はどんな疾患か、どのような適応条件があるのかなどは、患者さんとの対応を通して学んでいますね。
新しい知識を日々吸収しています。
休日の過ごし方
ーーー1週間のスケジュールはどのようになっているのですか?
往診が火曜と木曜の午後なので、その時は語学学校に行きますが、それ以外は基本的にクリニックにいます。
ーーー週末や休みの日の楽しみはありますか?
リフレッシュは頻繁ではないですが、島に行くことはあります。
オランゴ島とか。あとはジンベイザメを見られるオスロブとか。
小さい町に行くと、ボランティアをしていた時を思い出しますね。
休日も仕事があり、連休は少ないので、遠出よりは日帰りで少し出かけるくらいです。
1人の時は、ゆったりマッサージに行くこともあります。
大学院進学
ーーー最近、勉強をするという話を伺いました。もともと考えていたのですか。それとも働く中で次のステップが見えてきたのですか。
大学院に今年から入学しました。
もともと行きたいと思っていました。ただ、分野は変わりましたね。医療通訳や国際医療マネジメントを学んでいます。
もともとは公衆衛生やその国の生活習慣の方に興味があったんですけど。
ーーー通信になるのですか?
基本は通信ですが、単位を取るために病院実習を受けなければならないので、それに合わせて帰国しようと思っています。
それ以外はオンラインで単位が取れますし、卒業できます。期間は2年です。
その間もこちらで引き続き仕事をしようと思っています。
ーーーその後のステージでイメージしていることはありますか。
研究内容は、こちらに住んでいる日本人の方かローカルのメディカルスタッフを対象にしようと考えています。
セブ島で仕事をしながら、いろいろなことを活かしていきたいですね。
日本に帰っても、在日外国人の対応ができる医療者は求められていると思います。
ーーー引っ張りだこだと思います! そういう人を求めている施設は多いです。
ーーーこれからやりたいことを教えてください。
現地で学んでいる英語はもちろん、大学院で学んだことも活動に活かしていきたいですね。大学院で学んだこともそうですが「教える立場」にも興味があるので、インターンなどきていただけると学ぶことも多いと思うので。ぜひ来ていただきたいです。
ーーーどういう方がここでの仕事に合っていると思いますか。
英語ができる、よりも、人と関わるのが好きだったり、誰かが困っているときに寄り添えることが大事だと思いますね。コミュニケーションが取れる人がいいですね。日本よりも進んでいないことも多いので、そこを「しょうがない」と思える人、尊重してローカルの人と協力できる人、フィリピンに興味を持ってくれている人とか。いいと思います。
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HLCA代表、海仲の考える、今後の医療者として必要とされるスキルとは?
在日外国人の対応ができる医療者は、確実に求められています。
大きな医療法人でも、英語を話せる医療者のポジションを作り出しているんですよ。トラベル外来やクリニックで、そこの基準に則った報酬とか。
私たちの方から施設側に交渉して「英語の試験に対しての手当てをつけてください」と交渉しているんです。 英語を学んだ生徒さんたちが報われるような求人にしていただけるように伝えています。
看護師としての基準のお給料をもらいながら、海外の方を対応するお仕事は今後さらに増えてくると思います。
施設を増やすと考えた場合、立ち上げメンバーを募集することも多いですね。
スキルとしては、看護だけでなく、ビジネスメールを作成できる、書類を作れる、パソコンのスキルがある、マーケティングができるなどそういった経験のある人がさらに活躍できる社会になっていくはずです。
看護とビジネス、そして英語をかけ合わせて、より広い世界で活躍する医療者が増えることを願っています。
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ーーー今回は貴重なお話をありがとうございました! 英会話をはじめてから今までの熱い思いを聞くことができました。今後のご活躍を心より応援しています!